カトリック女子跣足カルメル修道会 お告げの聖母修道院
Monastère Notre-Dame de l'Annonciation, Kyoto, Japon
Ordo Carmelitarum Discalceatorum(O.C.D.)
日本におけるカルメル会
歴史 Histoire
⑴ 女子カルメル会のアジア宣教
女子カルメル会がアジアにやってきたのは、19世紀後半のことでした。ベトナム南部(コーチシナ)の初代使徒座代理区長(vicaire apostolique, 1844-1864)であった、パリ外国宣教会のルフェーヴル司教(Dominique Lefèbvre, MEP, 1810-1865)が、その従妹でリジュー(Lisieux)のカルメル会修道女であった、無原罪の御宿りのフィロメーヌ(Philomène de l'Immaculée-Conception, Henriette Bihorel, 1820-1895)に、サイゴンへの女子カルメル会創立を勧めます(当時投獄されていた司教にイエスの聖テレサが現れ、コーチシナへの女子カルメル会創立を促したそうです)。それをうけ、リジューの修道院からフィロメーヌを含む4人のフランス人姉妹が旅立ち、1861年10月15日、アジア初となる女子カルメル会修道院が、サイゴンに創立されました。
その後、4人のうち3人はフランスに帰国し、フィロメーヌ1人がサイゴンに残ります。そこに、1883年フランス中部ブロワ(Blois)の修道院から派遣されたイエスのエメ(Aimée de Jésus)、1898年ル・マン(Le Mans)から派遣されたマリアのエメ(Aimée de Marie)、さらに1899年ブルターニュのサン・ブリユー(Saint-Brieuc)からイエスのアンヌ(Anne de Jésus)などが加わり、この地域において、続々と新修道院が創立されていきました(1895年ハノイ、1909年フエ、1919年プノンペン、1923年ハロ〔フィリピン〕、1925年バンコクなど)。
中国については、南京の使徒座代理区長(1864-1878)であった、イエズス会のランギヤ司教(Adrien Languillat, SJ, 1808-1878)が、1867年頃、フランス西部ラヴァル(Laval)の女子カルメル会を訪れ、中国での修道院創立を要請します。修道女のなかに、1856年に中国で殉教したパリ外国宣教会の聖シャプドレーヌ神父(St. Auguste Chapdelaine, MEP, 1814-1856、2000年列聖)の姪であった、殉教者のエレオノール(Éléonore des Martyres, Clémence Chapdelaine)がおり、彼女が先頭に立って中国入りし、1869年、中国初の女子カルメル会修道院が上海に創立されました。エレオノールはその後、1922年に重慶にも修道院を創立しています。
さらに、インドでも、1870年、フランス南西部ポー(Pau)の修道院から派遣された姉妹たちによって、最初の女子カルメル会修道院が南部の港湾都市マンガロール(Mangalore)に創立されています。
19世紀後半は、以上のようなアジア各地のほかにも、ロンドン(1866年)、アルジェリア(1872年)、ベツレヘム(1875年)、カルメル山(1882年)、チュニジア(1885年)、シドニー(1885年)など、世界中に、フランス各地の女子カルメル会修道院によって新たな修道院が創立されていく時期でもありました。
無原罪の御宿りのフィロメーヌ
(1820-1895)
アドリアン・ランギヤ司教
(1808-1878)
聖オーギュスト・シャプドレーヌ
(1814-1856)
(ショレの旧カルメル会修道院。2002年に閉院となり、その後、コンベンツアル聖フランシスコ修道会により改装され、利用されています。)
⑵ ショレ(Cholet)の女子カルメル会
日本初の女子カルメル会修道院を東京に創立したのは、フランス西部のショレ(Cholet)という町にある修道院からやってきた姉妹たちでした。
ショレの女子カルメル会は、アジアのような非キリスト教地域に新たな修道院を創立するために派遣される姉妹をひとつに集め、特別に養成する使命をもつものとして、1925年、ベトナムのフエ(Hué)から戻ってきた修道女たちによって創立されました。この修道院は、フランス革命後にいったん廃院となっていたところに再建されたものですが、その初代院長となったのは、1898年にル・マン(Le Mans)の修道院からハノイに派遣され、その後、1909年にフエを創立したマリアのエメ(Aimée de Marie, Eugénie Cordon, 1872-1956)、そして副院長は、1923年にフランス中部ル・ドラ(Le Dorat)の修道院からフエに派遣されていた、幼きイエスのジャンヌ(Jeanne de l'Enfant-Jésus, Jeanne Metz, 1895-1967)でした。
ところで、ショレが、そしてショレを介してフランスのカルメル会が、日本に新たな修道院を創立しようと決意するに至るまでには、少なくとも3人の人物による重要な働きかけがあったと言えます。
その一人が、フランスの駐日大使(1921-1927)であり、当時休暇中であったポール・クローデル(Paul Claudel, 1868-1955)です。マリアのエメと幼きイエスのジャンヌの2人がフランスに戻るためにベトナムから乗った客船 Amazone 号に、たまたま彼も乗船していたのです。敬虔なカトリック教徒であったクローデルは、まもなく列聖されることになる、リジューのカルメル会の福者幼きイエスのテレーズ(Thérèse de l'Enfant-Jésus, Thérèse Martin, 1873-1897)に特別な関心を寄せていたこともあり、約1ヶ月の船旅を通じて、この2人のカルメリットと深い交流をもつことになります。他方、アジアをはじめとする海外宣教のための養成を行う修道院を創立することになる2人のカルメリットにとって、この出会いは、日本が具体的で大きな目的地の1つになるきっかけとなりました。
2人目の重要人物は、日本人初の司教となった早坂久之助師(HAYASAKA Kyunosuke, 1883-1959)です。早坂師は、1927年10月にヴァチカンで教皇ピオ11世(Pius XI)により司教に叙階された後、日本への帰国の前にリジューのカルメル会を訪れ、当時の院長イエスのアニェス(Mère Agnès de Jésus, Pauline Martin, 1861-1951、幼きイエスの聖テレーズの姉)に、日本への女子カルメル会創立を要請します。メール・アニェスはこの要請をショレに伝え、また、早坂司教は帰国後、1人の志願者を長崎からショレに派遣しました。早坂司教は、自身が教区長を務める長崎への創立を希望していたと言われています。
3人目の重要人物は、東京大司教であったパリ外国宣教会のシャンボン師(Jean-Baptiste-Alexis Chambon, MEP, 1875-1948)です。早坂司教と同様に熱心に女子カルメル会の創立を勧奨したシャンボン大司教は、東京への招致のため、土地や家屋の手配などにも奔走しました。
こうして、1933年1月、ショレの院長になっていた幼きイエスのジャンヌとともに、6人の姉妹がショレを発ち、マルセイユから船に乗り、日本を目指すことになりました。
駐日フランス大使(1921-1927)
駐米フランス大使(1926-1933)
駐白フランス大使(1933-1935)
日仏会館創立(1924年)
ポール・クローデル
(1868-1955)
司祭叙階(1917年6月10日)
司教叙階(1927年10月30日)
長崎司教(1927-1937)
長崎純心聖母会創立(1934年)
早坂久之助司教
(1883-1959)
司祭叙階(1899年9月23日)
司教叙階(1927年5月4日)
東京大司教(1927-1937)
横浜司教(1937-1940)
J.-B.-A. シャンボン大司教
(1875-1943)
⑶ 東京女子カルメル会(三位一体修道院)の創立
東京での創立のために、6人の姉妹たちが幼きイエスのジャンヌ院長とともに、ショレのカルメル会を出発したのは、1933年1月10日のことでした。姉妹たちは、1月13日、南仏マルセイユの港から蒸気船 Général Metzinger 号に乗り、まず上海を目指します。
この船には、旧ルーマニア王族出身のカトリック司祭で、教皇ピオ11世により使徒座秘書官(protonotaire apostolique)に任命され、東京、シドニー、カルタゴ、ダブリン、ブエノス・アイレス等へ順次派遣されることになっていた、モンセニョール・ギカ(Bx. Vladimir Ghika, 1873-1954, 2013年列福)が乗船していました。彼は、パリでポール・クローデルとも親交があり、創立当初の東京女子カルメル会の良き理解者となります(2ヶ月の日本滞在中、修道院付き司祭を務めました)。
上海で日本行きの照国丸に乗り換えた姉妹たちは、ギカ師とともに、神戸、大阪を経て、ついに、1933(昭和8)年2月25日横浜港に到着。シャンボン大司教の出迎えと祝福を受けたのち、四谷のサンモール会(現・幼きイエス会=ニコラ・バレ)の修道院に4泊させていただきました。
四谷からほど近い麹町には、シャンボン大司教によって、女子カルメル会のために小さな仮修道院が用意されていました。3月1日、灰の水曜日に、モンセニョール・ギカやシャンボン大司教らにより修道院の祝別式が行われ、ここに、日本における最初の女子跣足カルメル修道会修道院である三位一体修道院が創立されました。
幼きイエスのジャンヌは創立を見届けたのちにショレへ戻ることになっていたので(4月30日、日本を出発)、東京の初代院長となったのは、南仏マンド(Mende)のカルメル会からショレに移り、来日していた、ホスチアなるイエズスのマリア(Marie de Jésus-Hostie, Jeanne Ramadier, 1894-1963)でした。
創立からちょうど2年後、1935(昭和10)年3月には、シャンボン大司教の意向により、麹町の仮修道院を出て、上石神井の大神学校の東側に完成した本修道院に引っ越しました。
第二次大戦末期には、東京への空襲が激しくなってきたことをうけ、東京教区長であった土井辰雄大司教(DOI Tatsuo, 1892-1970、1960年に枢機卿)により、カルメル会の疎開が指示されました。1945年4月、姉妹たちは2つのグループに分かれ、兵庫県加古川市のトラピスチヌ修道院と軽井沢とに疎開しました。その後、同年6月には加古川も危険となったため、トラピスチヌたちは函館に疎開し、カルメリットたちは軽井沢に合流しました。戦後、疎開者の東京帰還が許されたのは10月になってからで、姉妹たちが上石神井の修道院に戻ったのは、1945年10月14日のことでした。
そして1945年11月には、2代目院長に、初代院長と同じくマンドのカルメル会からショレを経て、1934年4月に来日していたイエスのマリア・セシール(Marie-Cécile de Jésus, 1971年帰天)が任命されました。
その後、ときの大阪教区長であった田口芳五郎司教(TAGUCHI Yoshigoro, 1902-1978、のち大司教・枢機卿)の招請を受け、1947年10月15日、日本で2番目となる女子カルメル会が兵庫県西宮市に創立されました(聖ヨゼフ修道院)。初代院長は、東京の初代院長であったホスチアなるイエスのマリアです。彼女は、東京修道院が疎開を余儀なくされたとき、東京修道院の院長として、聖ヨゼフに対し、「東京修道院を爆撃から守っていただけるなら、聖ヨゼフに捧げる日本第2の修道院を創立する」との誓いを立てていました。こうして、西宮の修道院は、聖ヨゼフに捧げられたのでした。
上石神井の三位一体修道院は、その後、1959年に調布市深大寺に移転し、現在に至っています。1983年3月1日には、創立50年記念のミサが、東京教区長白柳誠一大司教(SHIRAYANAGI Seiichi, 1928-2009、1994年枢機卿)や駐日教皇庁大使ガスパリ司教(Mario Pio Gaspari, 1918-1983)らの共同司式により、盛大に捧げられました。
上石神井の修道院全景
撮影年月は不明です
調布の修道院玄関
志願者と神父様らしき2人が写っています。いつ頃のものか、どなたなのか、不明です。(情報をお持ちの方はご教示ください)
調布の修道院の受付の建物
撮影年月は不明です
⑷ 福岡女子カルメル会(カルメル山の聖母修道院)の創立
東京の三位一体修道院、西宮の聖ヨゼフ修道院に続き、日本で3番目に創立された女子カルメル会の修道院は、福岡のカルメル山の聖母修道院です。東京と西宮の修道院がフランスの姉妹たちによって創立されたのに対し、福岡の修道院は、ベルギーの姉妹たちによって創立されました。
福岡には、カナダのモントリオールから戦前に来日していた聖スルピス会の司祭たちによって、1948年にサン・スルピス大神学院(現福岡カトリック神学院)が開校されており、ちょうどその頃、駐日教皇庁使節であったベルギー人のフルステンベルク大司教(Maximilien de Furstenberg, 1904-1988)が、ベルギーのブルージュ(Bruges)の女子カルメル会が日本創立を検討していることをうけ、当時の福岡教区長、深堀仙右衛門司教(FUKAHORI Senyemon, 1894-1985)の協力のもとに、このサン・スルピス大神学院の隣接地に新しい修道院を創立する手はずを整えられました。深堀司教は、とくに司祭のために、そして未来の司祭のために祈るカルメリットが福岡にいてほしい、と強く望まれました。
1947年、ブルージュのカルメル会は、福岡での創立のために、3人の姉妹を派遣することを決めました。ベルギー北部ブランケンベルグ(Blankenberge)のカルメル会の三位一体のマリー・ジョゼフ(Marie-Joseph de la Trinité, Anne-Marie van Ellewyck, 1902-1985)、そしてブルージュの神の母のガブリエル(Gabriel de la Mère de Dieu, Gabriele van Oosten, 1906-1989)、アントワープ(Anvers)のイエス・マリアのカロリン(Caroline de Jésus-Marie, Caroline Gillès de Pélichy, 1903-198?)の3人です。
創立メンバーの3人は、1950年9月12日、アントワープの港を出発し、約5週間の船旅を経て、10月21日、日本に到着しました。半年ほど東京のカルメル会に滞在したのち、東京カルメルの1人の日本人姉妹(三位一体のマリア鈴木澄、1919-2010)とともに、1951(昭和26)年7月15日、カルメル山の聖母の祝日の前夜に福岡に到着し、神松寺のサン・スルピス大神学院の向かい側の丘で、サルヴェ・レジナ(Salve Regina)を歌いました。
修道院の完成までのあいだ、4人の姉妹は、大神学院で働く聖ヨセフ会のシスター方の修道院に滞在させていただきました。1952(昭和27)年3月25日、ようやく第一期の建築が完成し、初めてのミサが捧げられ、引っ越しを終えました。このとき、東京の修道院から、新たにフランス人の姉妹イエスのマリー・ジェルメーヌ(Marie-Germaine de Jésus, Germaine Pellerin, 1909-2006)と1人の志願者(のちの聖マリアのエンマヌエル阿部真子、1924-1977)が加わりました。その後も多くの志願者に恵まれ、5月28日、深堀司教の司式で、修道院の祝別式が行われました。
1957年には、2人のベルギー人姉妹と1人のフランス人姉妹が、日本に帰化しました。3人は、長崎26殉教者の1人である聖パウロ三木(St. Paul Miki, 1564-1597)の名をいただき、三位一体のマリー・ジョゼフが三木信、神の母のガブリエルが三木望、イエスのマリー・ジェルメーヌが三木愛となりました(数年後に、ベルギー人姉妹の聖ヨゼフのマリー・マドレーヌ(Marie-Madelaine de St. Joseph, Leona Thienpont, 1919-1995)も帰化し、三木恵となっています)。なお、創立3姉妹の1人、イエス・マリアのカロリンは、1955年、マンガロール(インド)の修道院を助けるため、福岡を離れ、インドで修道生活を全うし、帰天しました。
福岡の修道院には創立直後より多くの召命があり、創立から僅か8年、早くも1959年には、京都に新しい修道院を創立することになりました(さらに、1978年には大分にも創立)。こうして、ついに私たちの修道院が京都に創立されることになったのです。
駐日教皇庁使節フルステンベルク大司教
福岡カルメル創立の場所を、サン・スルピス大神学院の隣にと導いてくださいました。
深堀司教とブルージュのコミュノテ
深堀司教が、ブルージュのカルメル会を訪問されたときの写真です。まだ白ヴェール姿の神の母ガブリエルの姿が見えます。
福岡創立の3姉妹
左から、神の母のガブリエル、三位一体のマリー・ジョゼフ、イエス・マリアのカロリン。
ブルージュの院長と福岡の創立者
左から、三位一体のマリー・ジョゼフ、ブルージュの三位一体のエリザベット院長、神の母のガブリエル。エリザベット院長の抱くカルメル山の聖母子像は、創立3姉妹により福岡へ運ばれます。
日本へ向かう船上の創立3姉妹
1950年10月、シンガポールで Rebeverett 号(フィリピン船籍)に乗り換えた姉妹たち。左から、神の母のガブリエル、三位一体のマリー・ジョゼフ、イエス・マリアのカロリン。
創立予定地に立つ創立3姉妹
ブルージュから持ち運んだカルメル山の聖母子像を抱く三位一体のマリー・ジョゼフの右におられるのは、サン・スルピス大神学院の院長オーブリ神父様(Gaston Aubry, PSS)です。
福岡修道院の祝別式
1952年5月28日、深堀司教様の司式により修道院の祝別式が行われました。このときにはすでに東京からイエスのマリー・ジェルメーヌ(東京創立者の1人、1957年帰化し、三木愛)と1人の修練者が、また、ベルギーからも2人の姉妹が来日しています。
福岡修道院の内部
左上から時計回りに、回廊と中庭、歌隊所(聖堂)、玄関、集会室、歌隊所、食堂。
創立者たちの荘厳誓願
1952年12月8日、5人の姉妹が揃って荘厳誓願を立てました。前列左からイエスのマリー・ジェルメーヌ、聖マリアのエンマヌエル、白ベールは修練者。後列左から三位一体のマリア、三位一体のマリー・ジョゼフ院長、神の母のガブリエル、聖ヨセフのマリー・マドレーヌはすでに誓願を立てており、冠を付けていません。
シャピートル(集会室)の深堀司教
「深堀司教様は創立の当初から度々修道院を訪れて、慈父の愛をお注ぎくださいました。私たちは司教様を囲んで、深い信仰のお話しに聞き入ったものです。」(福岡カルメル会創立50周年誌14頁)
マリー・ジョゼフ院長の銀祝
冠を付けているのは、初代院長である三位一体のマリー・ジョゼフです。初誓願は1929年1月13日でしたので、この写真は1954年1月頃のものと思われます。左側は、神の母のガブリエルです。
神の母のガブリエルの銀祝
京都の創立者となる神の母のガブリエルが冠を付けています。初誓願は1932年6月30日でしたので、この写真は1957年夏のものでしょう。左から、三位一体のマリア、神の母のガブリエル、三位一体のマリー・ジョゼフ、聖マリアのエンマヌエルです。
現在 Actualité
⑴ 日本各地の女子跣足カルメル修道会
現在、日本には9つの女子カルメル会修道院があり、それぞれが聖座法(iuris pontificii、教会法589条)による自治修道院(monasterium sui iuris、教会法613条)として院長のもとに独立しています。いわゆる女子カルメル会としての本部修道院や管区長・総長のようなものはありませんが、日本の女子カルメル会として一つの連合を作り、各修道院共通の問題を話し合ったり、連合として種々の企画をしたり、各修道院間の相互援助の調整をしたり等々、日本の女子カルメル会全体のために活用しています。また、男子跣足カルメル会総長とその代理者が、使徒座から委ねられた権限によって、修道者なる長上の責務を果たしています。
①東京/三位一体修道院
1933年、ショレから創立(旧東京府麹町区)
初代院長は、ホスチアなるイエズスのマリア(Jeanne Ramadier)
1935年、旧板橋区(現練馬区)上石神井に移転
1959年、調布市深大寺に移転
【主な翻訳書】
『自叙伝』(イエズスの聖テレジア著、サンパウロ)
『完徳の道』・『霊魂の城』(イエズスの聖テレジア著、ドン・ボスコ社)
『霊の賛歌』(十字架の聖ヨハネ著、ドン・ボスコ社)
『神の現存の体験』(ラウレンシオ修士著、ドン・ボスコ社)など
②西宮/聖ヨゼフ修道院
1947年、東京から創立(兵庫県西宮市段上町)
初代院長は、ホスチアなるイエズスのマリア(Jeanne Ramadier)
【主な翻訳書】
『十字架の聖ヨハネ詩集』(ドン・ボスコ社)、『聖テレーズの祈りの道』(シオン著、サンパウロ)
『愛と無/十字架の聖ヨハネを読むために』(聖マリアのフランシスコ著、聖母文庫)
『ばらの香り/テレーズの祈り』(ドン・ボスコ社)など
③福岡/カルメル山の聖母修道院
1951年、ブルージュから創立(福岡市旧西区(現城南区)神松寺)
初代院長は、三位一体のマリー・ジョゼフ(1957年帰化し三木信)
1993年、福岡市西区今宿に移転
【主な翻訳書】
『聖書思想事典』(三省堂)、『幼いイエズスの聖テレーズの手紙』(サンパウロ)
『神のさすらい人/アビラの聖テレサ』(M・オクレール著、サンパウロ)
『森の静けさのなかで/カルメルの伝統における祈り』(メアリー・マコーマック著、サンパウロ)
『日常を神とともに』(M・ズンデル著、女子パウロ会)、『女であることの恵み』(G・ブラキエール、女子パウロ会)など
④京都/お告げの聖母修道院
1959年、福岡から創立(京都市北区大北山鏡石町)
初代院長は、神の母のガブリエル(1957年帰化し三木望)
【CD】
「教会の祈り」(高田三郎監修、フォンテック、1988年)
「歌唱ミサ/やまとのささげうた」(高田三郎作曲、大塚喜直司教司式、ビクター、2000年)
⑤伊達/イエズスの聖テレジア修道院
1962年、東京から創立(北海道樺戸郡月形町)
初代院長は、イエズスの聖心のマリア・ジェルトルード(帰化し井田愛子)
1981年、北海道伊達市に移転
【主な翻訳書】
『神との親しさ』⑴〜⑻(SMP・ガブリエル、聖母文庫)
『イエスの聖テレサと共に祈る』(FJS・フェルミン、聖母文庫)など
⑥大分/聖マリア修道院
1978年、福岡から創立(大分県由布市挾間町)
初代院長は、イエス・マリアのテレーズ・マルグリット小西幸子
【主な著書】
『主日の福音を生きる〔B年〕——日々の生活をみことばとともに』(2020年、サンパウロ)
⑦山口/教会の母マリア修道院
1979年、東京から創立(山口市仁保中郷)
初代院長は、聖ヨゼフのマリー・テレーズ田代萱子
【主な翻訳書】
『暗夜』・『愛の生ける炎』(十字架の聖ヨハネ著、ドン・ボスコ社)
『愛するための自由/十字架の聖ヨハネ入門』(ノバート・カミン著、ドン・ボスコ社)
『リジューの聖テレーズ/小さい花の物語』(カルメル会編、ドン・ボスコ社)など
【ホームページ】
⑧十勝/幼きイエズス修道院
1990年、伊達から創立(北海道幕別町)
初代院長は、み心のマリア・ベルナルド溝口温子
【主な翻訳書】
『聖人略伝/典礼暦による』(P・ジュネル著、ドン・ボスコ社)
【ホームページ】
⑨泰阜(やすおか)/聖家族修道院
2001年、西宮から創立(長野県泰阜村)
初代院長は、イエズスのテレジア高橋宏子
【主な翻訳書】
『創立史』(イエズスの聖テレジア著、ドン・ボスコ社)
『キリスト・人間と死』(F.X.デュルウェル著、サンパウロ)
『死後の世界を見つめて/キリスト者にとって「あの世」とは』(F.X.デュルウェル著、サンパウロ)など
【ホームページ】
⑵ 日本各地の男子跣足カルメル修道会
男子カルメル会の来日は、1951(昭和26)年12月のことでした。ベネチア管区の会士4名と、ミラノ管区の会士2名により、日本宣教が開始され、現在、日本には、5つの修道院・共同体が存在しています。1978年以降、日本の男子カルメル会は、1つの総代理区(delegatio generalis)となっています。
①名古屋市日比野/聖ヨゼフ修道院・本部(1952年3月創立)
②世田谷区上野毛/カルメル山の聖母修道院(1952年8月創立)
③京都府宇治市/イエズスの聖テレジア修道院(1962年5月創立)
④金沢市三馬/カルメル山の聖母修道院(1970年3月創立)
*大分修道院(1978年1月創立)はその後閉院
⑤金沢市広坂/広坂共同体