カトリック女子跣足カルメル修道会 お告げの聖母修道院
Monastère Notre-Dame de l'Annonciation, Kyoto, Japon
Ordo Carmelitarum Discalceatorum(O.C.D.)
京都女子カルメル会について
京都カルメルの歴史
日本のカルメル会でいちばん古い建物になりました
⑴ 金閣寺のとなり、左大文字山の中腹に
京都教区の古屋義之司教様(FURUYA Yoshiyuki, 1900-1991)が修道院建設のために提案してくださった土地は3カ所ありました。福岡のマリー・ジョゼフ院長(1902-1985)と京都の院長となる神の母のガブリエル(ガブリエル母様、1906-1989)は、平地ではなく山や谷のある所の方がふさわしいと考え、そのなかから、現在の大北山を選びました。
もともと聖ヴィアトール修道会(1948年来日)が学校建設用として所有していた土地をカルメル会が購入したもので、修道院としては広すぎたため、通りに面した入口の部分といちばん奥の部分は京都教区に差し上げ、真ん中部分に私たちの修道院を建設することにしました(その後、入口部分は京都教区カリタス会の児童養護施設・京都聖嬰会に、奥の部分は教区の衣笠墓苑になりました)。
私たちのお告げの聖母修道院は、東京・西宮・福岡に続く日本で4番目の女子跣足カルメル修道会の修道院ですが、創立以来引っ越しや建て替えをしておらず、いまでは日本のカルメル会修道院のうちで、築60年を超えるいちばん古い建物となっています。
以下、その歴史を紹介させていただきます。
建設予定地
修道院入口前道路の急カーブができあがりつつあります。
整地
古屋司教様の働きかけをうけ、メリノール会の管区長、ヒュアー神父様の仲介で、駐留米軍用ブルドーザも利用して整地されました。
修道院の骨組み
骨組みができあがりつつあります。竹中工務店の現場監督(加登藤志郎さん)が親身になって尽力してくださいました。
骨組み完成
修道院の禁域内敷地と受付の敷地を区切る囲いも作られています。
建築現場を眺める2人の姉妹
ガブリエル母様たちは、建物完成までに何度も現場に呼ばれました。そのたびに、ウィチタ聖ヨゼフ修道会の修道院に泊めていただきました。
教区墓地へ向かう囲い
囲いの右側が修道院の敷地、左側が教区墓地へ向かう道路、その左が金閣寺の敷地です。
⑵ 修道院の完成(1959年11月)
私たちの新しい修道院創立のために、実に多くの方々がお世話下さいましたが、とくに、福岡のサン・スルピス大神学院の教授であられた平田三郎神父様(HIRATA Saburo, 1913-2007、のち、1962年大分司教、1970年福岡司教)には、大変なご尽力をいただきました。
建築家や竹中工務店の方が福岡の修道院に来られるたびに、となりの大神学院から平田神父様がいらっしゃって、打ち合わせに参加して下さいました。また、京都の新修道院で必要となる家具(食堂や修室の机、椅子、寝台)、聖堂の調度類(黒檀製の聖櫃、蝋燭台、聖体ランプなど)を、福岡で作らせて貸し切り貨車一台に載せて京都まで運ばせるなど、細かいところまであらゆる配慮をお一人でなさって下さいました。
マリー・ジョゼフ院長とガブリエル母様は、そのようなわけで、平田神父様を、京都カルメル創立の恩人かつ福岡カルメルの代理として、京都の新修道院の祝別式にお招きしました。
万代塀と竹
和風2階建ての修道院と囲いの万代塀が完成したのち、斜面には竹が植えられました。
囲いの柱は山の上まで
正面の平屋、大屋根のてっぺんに十字架のある建物は外部聖堂です。そのうしろから、左大文字山に囲いの柱の列が伸びています。
創立当時の外部聖堂
外部聖堂と禁域内の内部聖堂(歌隊所といいます)の位置は、現在でも変わりません。
創立当時の祭壇
第二ヴァチカン公会議(1962-1965)前ですから、祭壇も外部聖堂のいちばん東側の壁にくっついていました。
歌隊所から外部聖堂・祭壇を
現在は仕切りの格子はありません。平素は木製の引き戸(これが禁域の仕切りです)が閉められており、外部・内部はお互いに見えなくなっています。ミサの時などに限り、引き戸を開放しています。
修道院内部(禁域内)
(上段左から)シャピートル(集会室)、食堂、中庭と鐘
(中段左から)修室からの眺め、応接室、修室
(下段)修室の並ぶ廊下
⑶ 祝別式(1959年12月17日)、お告げの聖母修道院の創立
1959年11月25日夕、博多駅から、ガブリエル母様と受付の姉妹御訪問のマリア(1934-2015)ら合計4人の姉妹が夜行寝台列車「玄海」に乗り、翌26日の朝、京都駅に到着しました。これが、第一陣でした。
その二日後、11月28日に、古屋司教様の司式によって、修道院外部聖堂で初めてのミサが捧げられました。以降、司教様と、教区と修道会の神父様方の主へのご奉仕と私たちへのご厚意によって、毎日ごミサが捧げ続けられています。
11月28日夕、第二陣が福岡を出発します。修練長の聖マリアのエンマヌエル(1923-1977、1962年ブルージュに移籍)と共に、まだ修練女であった聖体のマリア(1933-2006)やナザレトのマリア(1933-2016)ら合計5人が、やはり「玄海」に乗り、翌29日朝に京都に到着しました。
さらに、12月1日には1人の志願者(のちの三位一体のマリア・テレジア)が、12月3日には福岡から京都の副院長となるイエスのマリー・ジェルメーヌ(1909-2006、のち帰化し三木愛)が合流しました。こうして、合計11名の修道女・修練女・志願者で、私たちのコミュノテは発足することになりました。
祝別式当日は、衣笠教会から大勢の司祭や信徒・修道者の方々と共に聖体行列をして修道院に入り、古屋司教様によって修道院建物内部と外庭が祝別された後、司教様が教皇禁域(clausura papalis)を定められ、神の母のガブリエル院長によって鍵がかけられ、禁域が閉ざされました。ここに正式に、お告げの聖母修道院が創立されたのです。姉妹たちは喜びにあふれてマニフィカット(Magnificat)を歌いながら、ミサのために歌隊所に移動しました。1959年12月17日のことでした。
祝別式の一行、衣笠教会を出発
1959年12月17日、古屋司教様をはじめとし、神父様方、信徒・修道者の方々も衣笠教会に集合です。カルメルの姉妹たちは盛装、マント着用です。まず、聖体降福式がありました。行列の先頭は、衣笠教会助任司祭のゴダード師(Frederick Goddard, MM, 1919-1990)です。その後にヨゼフ会のシスター方が続きます。
ご聖体と司教様の出発
ガブリエル母様は、聖堂で潜心して祈っておられたため、周囲の姉妹たちが出発したことに気付かず、後からあわてて教会の裏口から行列に追いつかれたそうです。姉妹たちは、小さい順に並んで行列に加わっていたため、母様は最後からついて来ておられると思い込んでいたのでした。
聖体行列
ご聖体を抱く古屋司教様の後には、大勢の信徒の方々の姿が見えます。
坂道を登る
大勢の聖職者、侍者、信徒の皆さまが参列して下さっていたことがわかります。
カルメリットの到着
衣笠教会から坂道を登り、ついに修道院の玄関に到着した姉妹たち。ここでグラン・ヴォワルを下ろします(外からは完全に顔が見えなくなります)。後ろは衣笠教会助任司祭のレオナルド師(Roy Leonard, MM, 1921-1989)。
司教様の到着
古屋司教様が修道院玄関に到着されました。司教様の右は京都教区の丸山吉高師(MARUYAMA Yoshitaka, 1915-1988)、左はメリノール会のムレット師(John Murrett, MM,1892-1971)です。
修道院玄関での祈り
古屋司教様の左うしろにおられるのはメリノール会管区長のヒュアー師(William Pheur, MM, 1911-1993)です。
祝別式後のミサ
修道院内外が祝別され、禁域が閉ざされるまでの間、参列者の方々は、ご聖体が顕示された外部聖堂で待っておられ、その後、ミサが捧げられました。衣笠教会主任司祭のヘーシベック師(George Hirschboeck, MM, 1922-1993)の姿が見えます。
平田三郎神父様
私たちの「恩人」です。
ガブリエル母様と鐘
祝別された回廊の鐘をならす神の母のガブリエル院長。後ろにゴダード師、平田師、ヘーシベック師の姿が見えます。
⑷ 創立から60年、「還暦」を迎えた京都カルメル
このように創立された修道院ですが、創立当初は、資金不足から借金を抱え、生活のための安定した仕事がない、岩地に作った畑には土がないという有様でした。しかし、禁域の鍵を閉めたときにマニフィカットを歌った喜びは消えることなく、姉妹たちはガブリエル母様のもと、一生懸命働きながらカルメルの祈りと生活を学びました。そして主がどのように私たちを助け、導いて下さるか、そして本当に「主の慈しみは永遠」ということを、自分たちの祈りと生活のうちに体験してきました。
資金も技術も何も持たない私たちでしたが、司教様をはじめ教区の神父様方、宣教会・修道会の神父様やシスター方、信徒の方々、職人さん方、そしてカルメル会…と、私たちの周りのすべての方々の祈りとお助けによって、霊的にも物的にも支えられ、励まされながら歩んでくることができました。今ではゴフレットの仕事も安定し、畑も小さいとはいえ黒い土となり良い収穫を得られ、初めの困難も昔話になりました。
ここに60年を迎え、主がこのカルメルに置いて下さる恵みに感謝し、教会の中で果たすべき祈りの使命に忠実に応えつつ、私たちの存在のすべてを教会と世界のために捧げつくすことができますよう、引き続き、皆さまのお祈りとお助けをお願いいたします。
古屋司教様とコミュノテ(1960年)
1961年の姉妹たち
1967年の姉妹たち
1975年の姉妹たち
ガブリエル母様の来日25周年(1975年10月)
果樹の世話をする母様と姉妹(1979年)
ある日の聖務(1980年)
オープンハウス(1982年)
ある日の聖務(1995年)
創立40周年記念ミサ(1999年11月)
ワルケンホースト神父様の座りミサ(2000年)
ワルケンホースト神父様による黙想指導(2006年)
創立50年、大塚司教様と(2009年)
サルヴェ・レジナ(2013年)
ある日のごミサ(2017年)
コロナ禍におけるごミサは距離をとって(2020年8月)
修道院の現在
⑴ 祈りの一日
どの観想修道会でも1日に7回の教会の祈り(時課の典礼)があり、それによって一日全体を、主に心をあげる聖なる時としていますが、そこに、各修道会のカリスマによっていろいろな特色が加わります。カルメルの特徴は、1日に2回、朝夕1時間ずつ、ご聖体の前で行う「念祷」です。沈黙のうちに行われる、主イエスとの間の親密な交わりである念祷は、私たちカルメリットにとって生活の基盤となる大切な祈りです。黙想(retraite)が、聖書を読んだり、良いお話を聞いたりして、主についての考えや思いを巡らすことであるならば、念祷(contemplation)は、単純に主と共に留まることと言えるでしょう。
聖務日課、念祷など、すべての祈りは、時刻に合わせ、歌隊所に集まって、コミュノテ全員で捧げますが、それ以外の時間には、それぞれの仕事(ゴフレットを焼く・食事を作る・畑の作物の世話をするなど)をします。しかし仕事の間も、心のまなざしはできるだけ主に向かうように努めます。つまり、念祷は一日中続くのです。
絶え間なく心のまなざしを主に向け続ける生活は、自ずと孤独と沈黙を求めます。教会が私たちの祈りの使徒職を価値あるものと認め、それを守り励ますために、教皇禁域という特権/恵みを与えているのもそのためです。
しかし、修道生活は、個々人が主に向かう祈りと仕事だけではありません。私たちの母、聖テレサは、相互の愛に結ばれた小人数の共同体を望みました。お互いが分け隔てなく愛し合い、理解し合い、助け合う共同体の支えなくして、一人一人の真の霊的成長はあり得ないことを教えてくれます。
ですから、私たちには、1日に2回、レクリエーションの時間があり、この時間だけは「沈黙」などまるで存在しないかのように、どの姉妹も明るく談笑しています。もっとも、この時間は自分の気晴らしのためというよりも姉妹たちを喜ばせるためでありたいと願いながらも、ついつい自分のことを主張しすぎてしまうことも多いものです。しかし、そのような脱線も、それが許される、ありのままを受け止めてもらえるコミュノテ。主から、自分が、そして同じようにその姉妹が、愛されていることを知っているからこそ、互いに愛し合えるコミュノテを、私たちは目指しています。
一日の流れ/時間割
04h50
起床
以前は、廊下の目覚まし時計が鳴ると、一番に修室を飛び出してきた姉妹が「タブレット(木の板を3枚綴じたもの)」を打ち鳴らして「キリストに賛美!」と言い、出遅れた姉妹がそれに「キリストに賛美!」と返していました。現在、目覚まし時計はなく、タブレットの音を録音したものを起床合図の放送で流していますが、耳の遠い姉妹のために、今でもタブレットを鳴らしています。
05h20
お告げの祈り
朝の祈り
念祷
私たちの一日は、祈りで始まります。
(07h00)
ごミサ
3時課
時間は神父様によって異なりますので、一例として。コロナ禍以前は、信徒の方々も外部聖堂でご自由に与っていただいておりました。現在は、感染予防のため、残念ながら信徒の方々のご来訪をお断りしています。「3時課」は、ごミサの後に捧げます。
朝食
午前の仕事
それぞれの姉妹には割り当てられた仕事があります。畑や山仕事をする姉妹もいれば、ゴフレットを焼く姉妹もいます。掃除や大きな洗濯、炊事なども分担して行います。また、曜日によって、仕事も変わります。
11h20
6時課
究明
お告げの祈り
使徒言行録10:9にある、「ペトロは祈るために屋上に上がった。昼の12時(第6時)頃である。」が、「6時課」の起源とされます。「究明」では午前中を振り返り、心を主に向け直します。
昼食
レクリエーション
昼食は、係の姉妹による朗読を沈黙のうちに聴きながらいただきます。講話のテープを聴くこともありますし、またお祝い日には音楽も聴きます。レクリエーションは、手仕事をしながらシャピートル(集会室)で行うことが多いですが、ガラス拭きや外の掃除などをすることもあります。また、日曜日や祭日には、皆で散歩(ただし禁域内)に行くこともありますし、脚力に自信のある姉妹は山に登ることもあります。
13h10
休憩
シランス(沈黙)の時間です。疲れた時はお昼寝をします。休んでいる姉妹のために、起きている姉妹も修室で静かに過ごします。
14h00
9時課
霊的読書
「ペトロとヨハネが、午後3時(第9時)の祈りの時に神殿に上って行った。」(使徒言行録3:1)とあるのが、「9時課」の起源とされます。「霊的読書」の時間は、各自、修室で自分の選んだ霊的な本を読みます。
15h00
午後の仕事
午後も、それぞれがそれぞれの仕事をしますが、午前ほど大きなものではありません。
16h30
晩の祈り
コロナ禍以前には、信徒の方々と一緒に「晩の祈り」を捧げることも喜びでした。
17h00
念祷
「晩の祈り」に続いて、歌隊所で、沈黙のうちに行います。
18h00
お告げの祈り
夕食
レクリエーション
夕食は、昼食と同じで、沈黙のうちに朗読/テープ/音楽を聞きながらいただきます。レクリエーションも昼と同じですが、週に2回は、レクリエーションをかねて歌の練習をします。
19h30
聖母マリアの連祷
究明
寝る前の祈り
読書課
「寝る前の祈り」が、一日の終わりに捧げる「教会の祈り」です。「読書課」は、次の日の聖務となります。夜の聖務の伝統に従っていますが、違う時間、次の日の日中に移すこともできます。
(20h30)
自由時間
「読書課」の後からですが、お祝い日には聖務が長くなりますので、始まりが遅くなります。姉妹それぞれ、読書やお勉強をしたり、手紙を書いたり、自由に過ごします。また、仕事が忙しく終わらないときは、後片付けをすることもあります。
22h00
就寝
今日という一日を主に感謝して、すべてを主にゆだね、就寝です。
台所(1960年)
荘厳誓願(1985年)
韓国カルム来訪(1998年)
ラジオ体操(2001年)
縫製の仕事(2013年)
畑の仕事(2013年)
オルガン伴奏(2017年)
畑の仕事(2017年)
玄関横の庭(2020年)
⑵ 祈りのうた、賛美のうた
第二ヴァチカン公会議後、ミサが日本語で捧げられるようになったことから、日本の司教団の依頼をうけて「教会の祈り」と典礼聖歌の作曲に取り組まれた髙田三郎先生(TAKATA Saburo, 1913-2000)は、音楽を通した祈りの人でした。主とその教会に仕え、日本の人々の信仰を深めるために、ご自分のすべてをあげて取り組まれたあまたの曲は、カトリック教会の垣根を越え、広く人々の心を崇高なものへと向かわせてきました。私たちは、先生が各地で開かれた「教会の祈りの講習会」に参加したことからご縁をいただき、その後、先生には、たびたび修道院へのご訪問をいただくようになりました。
ここで紹介する2枚のCDは、修道院で歌われている「教会の祈り」と「やまとのささげうた」を、是非残しておきたいとの髙田先生のご依頼に、全くふさわしくないものながら、その熱意に根負けした形で録音させていただいたものです。
髙田先生の作曲された「やまとのささげうた」には、文語体の「主の祈り」が使われていましたが、このCDでは、そこを口語体の「主の祈り」に変えて歌っています。前日のリハーサルの後、司式の大塚司教様が、これから日本の教会は「新しい主の祈り」を使っていくのだから、この「やまとのささげうた」の中の文語体による「主の祈り」も、新しい口語体のそれに変えられないだろうかとおっしゃり、先生がすぐにその提案を受け入れられ、急遽、変更になったという経緯がありました。
(写真は、私たちを指導される高田三郎先生。1988年11月4日)
髙田三郎作曲「教会の祈り」(フォンテック、1984年/1998年)
このCDには、「教会の祈り」(聖務日課)第一主日のなかの、「初めの祈り」「朝の祈り」「晩の祈り」「寝る前の祈り」「読書」の一部が収録されています。私たちの修道院で、1984年1月10-11日に録音されたカセットテープ版を、フォンテック社が、1998年にCDとしたものです。以下では、その一部をお聴きいただけます(ダウンロードや転用はご遠慮下さい)。
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髙田三郎作曲「歌唱ミサ/やまとのささげうた」(ビクター、2000年)
このCDには、「お告げの祈り」と「やまとのささげうた」全曲が収録されています。私たちの修道院で、大塚喜直司教様(OTSUKA Yoshinao, 1954- )の司式のもと、2000年9月29日に収録されたものです。
ミサの式文は「神のお告げ」の祭日のもので、ミサ曲として「やまとのささげうた」が歌われています。朗読は、第1朗読が「イザヤの預言7:10-14」、第2朗読が「ヘブライ人への手紙10:4-10」、福音朗読が「ルカによる福音1:26-38」です。このミサの式文(祈願と叙唱)は、私たちの修道院にちなみ、「神のお告げ」(受胎告知)の祭日のものとしています。一部をご紹介します(ダウンロード等はご遠慮ください)。
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40年ものあいだ、私たちの修道院に毎年聖書講義に来て下さっていたイエズス会のワルケンホースト神父様(Karl-Heinz Walkenhorst, SJ, 1925-2017)が、2016年、司祭叙階60年を迎えられました。90歳を超えておられ、京都まではお越しいただけませんでしたので、民数記6:24-26の「祝福」を歌い、録音をお贈りしました。
1986年9月の黙想指導の音声です。このときは、ヨハネによる福音書1章について、ワルケンホースト神父様のお話を伺いました。1日目(その1)はヨハネ1:1-5について、2日目(その2)は、ヨハネ1:6-8についてです。
ワルケンホースト神父様のご本はこちら(アマゾン)
入会を考えられる方へ
神さまからの召し出しに応えたい方は・・・
主は一人一人を特別に愛しておられますから、召し出しも一人一人特別です。召命という何か特別なレールがあって、そこに乗るか乗らないかのようには、決して考えないでいただきたいと思います。「いつもあなた方と共にいる」と約束して下さったその主とともに歩む道そのものが「私の召命」を作るのです。
では、限りない愛を持って私たちを愛して下さる主が、私たちから望まれるものは何でしょう。ただの人間に過ぎない私たちが、神である主に差し上げられるものとは何でしょう。「愛は愛によってしか報いられない」と言うように、それは神からいただいた「愛」ではないでしょうか。
「愛」とは抽象的なものではありません。私たちの思い、判断、行動すべてにおいて現れてくるものです。神を愛するとは、主の思いやそのお考え(教え、教会の掟など)に自分を捨てて従い、それを優先させることではないでしょうか。主に従うことは易しいことではありません。主を愛するとは甘美な思いでもありません。しかし、「それでも主と共に生きたい!」と望まれる方があれば、どうぞ、私たちの修道院をご訪問下さい。